万葉集の枕詞(5)
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(2)万葉集巻13の枕詞 ⑤
今まで調べて来たものから、いよいよ本論に入ります。日本の国名や地名に関する枕詞で、万葉集と記紀歌謡(逸話も含む)にあり、万葉集の使用頻度が少ない枕詞。そのような枕詞は6個認められます。6個の枕詞は現在も知名度があり、いずれも日本の古代を象徴するにふさわしい印象があります。ところが、先に述べたように万葉集ではあまり使われていないのです。一方、記紀の記載が詳しかったりするので、現在でも、出典根拠は記紀の記載に求められてしまうのではないでしょうか。つまり、記紀歌謡が万葉歌よりも古い時期にできたものであると理解されているのです。。
それで、また長い出典根拠を抽出してしまいますが、読まれる方は我慢してください。今後の論拠になるからです。6個の枕詞が載る万葉集のそれぞれの歌を枕詞ごとに挙げて、その作成年代を推定して掲げて見ました。各歌には、題詞や左注が案外と付いており、作者や作歌事情が分かるからです。その分かる範囲で各歌を、古い順に並べて見ました。巻13の歌だけが作者、作歌年代とも不明歌なので、最初に置いて順番を付けずに○印で示します。参考までに記紀歌謡等の出典も付けてみました。
●「あしはらの→瑞穂(みづほ)」
(万葉集―5首)
○13-3227 長歌(読み人知らず:女性)
○13-3253 長歌(題詞「人麻呂歌集の歌に曰く」) :701年遣唐使を送る歌という説あり
① 2- 167 長歌(人麻呂の草壁皇子挽歌) :689年草壁皇子没
② 9-1804 長歌(田辺福麻呂歌集の挽歌) :738年以降の歌人と思われる
③18-4094 長歌(大伴家持の賀歌) :題詞等から749年作
(記紀:1首他)
①記紀神話 -天孫降臨「葦原中国(あしはらのなかつくに)を平らげおへぬ」
②記歌謡20番ー葦原のしけしき小屋に(神武天皇「皇后の選定」)
●「そらみつ→やまと」
(万葉集:6首)
○13-3236 長歌(み人知らず:男性)
①1- 1 長歌(雄略天皇の国見歌) :479年頃
②1- 29 長歌(人麻呂の「近江荒都」歌) : 690年頃
③5- 894 長歌(山上憶良の遣唐使を送る歌) :733年作
④19-4245 長歌(作者不詳:天平5年時入唐使に贈った歌) :733年作
⑤19-4264 長歌(入唐使に賜へる歌) :752年作
(記紀:3首)
① 記歌謡72番―倭の国に(仁徳天皇「雁の卵」)
② 記歌謡97番―倭の国を(雄略天皇「あきづ野」)
③ 紀歌謡75番―倭の国を(雄略天皇「あきづ野の口」)
●「あきづしま→やまと」
(万葉集―5首長歌)
○13-3250 長歌(読み人知らず:女性)
○13-3333 長歌(読み人知らず:女性)
① 1- 2 長歌(舒明天皇の国見歌) :641年頃
②19-4254 長歌(大伴家持の歌) :751年作
③20-4465 長歌(大伴家持の歌) :756年作
●「しきしま(磯城島)の→やまと」
○13-3248 長歌(読み人知らず:女性)
○13-3249 反歌(読み人知らず:女性)
○13-3254 反歌(人麻呂歌集の長歌の後) :701年遣唐使を送る歌という説あり
○13-3326 長歌(読み人知らず:女性)
① 9-1787 長歌(笹金村の歌) :732年作
②19-4280 短歌(大伴黒麻呂の歌) :732年作
③20-4465 反歌(大伴家持の歌) : 756年作
(記紀:崇神天皇紀)
天照大神をトヨスキイリヒメノ命に託して、笠縫邑(かさぬいむら)に磯城の神籬(ひもろぎ)を立てて祀った(伊勢神宮の起源が説かれている)。
●「つぎねふ→やましろ」
(万葉集:1首)
○13-3314 長歌(問答 読み人知らず:女性)
(記紀:6首)
① 記歌謡58、59―つぎねふや山代河を
② 同上 62、64―つぎねふ山代女(やましろめ)の
③ 紀歌謡53、54-つぎねふ山背河を
●「神風の→いせ」
(万葉集:6首)
○13-3234 長歌(雑歌 読み人知らず:女性)
○13-3301 長歌(相聞歌 読み人知らず:女性)
① 2- 162 長歌(挽歌 持統天皇の歌) :686年頃
② 2- 163 短歌(挽歌 大伯皇女の歌) :686年作
③ 4- 500 短歌(相聞歌 都に留れる妻の歌) :692年頃
④ 1- 81 短歌(雑歌 長田王の歌) :720年(古事記奉納と解釈した場合)
(記紀:3首)
① 記歌謡14番―伊勢の海の(神武天皇「久米歌」)
② 紀歌謡 8番―伊勢の海の(神武天皇「来目歌」)
③ 紀歌謡78番―伊勢の野の(雄略天皇)
今まで調べて来たものから、いよいよ本論に入ります。日本の国名や地名に関する枕詞で、万葉集と記紀歌謡(逸話も含む)にあり、万葉集の使用頻度が少ない枕詞。そのような枕詞は6個認められます。6個の枕詞は現在も知名度があり、いずれも日本の古代を象徴するにふさわしい印象があります。ところが、先に述べたように万葉集ではあまり使われていないのです。一方、記紀の記載が詳しかったりするので、現在でも、出典根拠は記紀の記載に求められてしまうのではないでしょうか。つまり、記紀歌謡が万葉歌よりも古い時期にできたものであると理解されているのです。。
それで、また長い出典根拠を抽出してしまいますが、読まれる方は我慢してください。今後の論拠になるからです。6個の枕詞が載る万葉集のそれぞれの歌を枕詞ごとに挙げて、その作成年代を推定して掲げて見ました。各歌には、題詞や左注が案外と付いており、作者や作歌事情が分かるからです。その分かる範囲で各歌を、古い順に並べて見ました。巻13の歌だけが作者、作歌年代とも不明歌なので、最初に置いて順番を付けずに○印で示します。参考までに記紀歌謡等の出典も付けてみました。
●「あしはらの→瑞穂(みづほ)」
(万葉集―5首)
○13-3227 長歌(読み人知らず:女性)
○13-3253 長歌(題詞「人麻呂歌集の歌に曰く」) :701年遣唐使を送る歌という説あり
① 2- 167 長歌(人麻呂の草壁皇子挽歌) :689年草壁皇子没
② 9-1804 長歌(田辺福麻呂歌集の挽歌) :738年以降の歌人と思われる
③18-4094 長歌(大伴家持の賀歌) :題詞等から749年作
(記紀:1首他)
①記紀神話 -天孫降臨「葦原中国(あしはらのなかつくに)を平らげおへぬ」
②記歌謡20番ー葦原のしけしき小屋に(神武天皇「皇后の選定」)
●「そらみつ→やまと」
(万葉集:6首)
○13-3236 長歌(み人知らず:男性)
①1- 1 長歌(雄略天皇の国見歌) :479年頃
②1- 29 長歌(人麻呂の「近江荒都」歌) : 690年頃
③5- 894 長歌(山上憶良の遣唐使を送る歌) :733年作
④19-4245 長歌(作者不詳:天平5年時入唐使に贈った歌) :733年作
⑤19-4264 長歌(入唐使に賜へる歌) :752年作
(記紀:3首)
① 記歌謡72番―倭の国に(仁徳天皇「雁の卵」)
② 記歌謡97番―倭の国を(雄略天皇「あきづ野」)
③ 紀歌謡75番―倭の国を(雄略天皇「あきづ野の口」)
●「あきづしま→やまと」
(万葉集―5首長歌)
○13-3250 長歌(読み人知らず:女性)
○13-3333 長歌(読み人知らず:女性)
① 1- 2 長歌(舒明天皇の国見歌) :641年頃
②19-4254 長歌(大伴家持の歌) :751年作
③20-4465 長歌(大伴家持の歌) :756年作
●「しきしま(磯城島)の→やまと」
○13-3248 長歌(読み人知らず:女性)
○13-3249 反歌(読み人知らず:女性)
○13-3254 反歌(人麻呂歌集の長歌の後) :701年遣唐使を送る歌という説あり
○13-3326 長歌(読み人知らず:女性)
① 9-1787 長歌(笹金村の歌) :732年作
②19-4280 短歌(大伴黒麻呂の歌) :732年作
③20-4465 反歌(大伴家持の歌) : 756年作
(記紀:崇神天皇紀)
天照大神をトヨスキイリヒメノ命に託して、笠縫邑(かさぬいむら)に磯城の神籬(ひもろぎ)を立てて祀った(伊勢神宮の起源が説かれている)。
●「つぎねふ→やましろ」
(万葉集:1首)
○13-3314 長歌(問答 読み人知らず:女性)
(記紀:6首)
① 記歌謡58、59―つぎねふや山代河を
② 同上 62、64―つぎねふ山代女(やましろめ)の
③ 紀歌謡53、54-つぎねふ山背河を
●「神風の→いせ」
(万葉集:6首)
○13-3234 長歌(雑歌 読み人知らず:女性)
○13-3301 長歌(相聞歌 読み人知らず:女性)
① 2- 162 長歌(挽歌 持統天皇の歌) :686年頃
② 2- 163 短歌(挽歌 大伯皇女の歌) :686年作
③ 4- 500 短歌(相聞歌 都に留れる妻の歌) :692年頃
④ 1- 81 短歌(雑歌 長田王の歌) :720年(古事記奉納と解釈した場合)
(記紀:3首)
① 記歌謡14番―伊勢の海の(神武天皇「久米歌」)
② 紀歌謡 8番―伊勢の海の(神武天皇「来目歌」)
③ 紀歌謡78番―伊勢の野の(雄略天皇)
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