2017-11-20

万葉歌と記紀歌謡(5)

   万葉歌と記紀歌謡(5)―景行天皇代
 景行天皇代の逸話は、両書とも倭建命(ヤマトタケルノミコト)の征討譚一つです。その逸話に古事記が15首、日本書紀が7首を載せています。歌謡と逸話から万葉集に関係する事項を以下に3点挙げてみます。いずれも(伊勢斎宮に結びつく)巻13歌に関連するものです。

(1)御佩刀(みはかし)と草薙剣
 標記については、巻13-3289番で詳しく述べているので省略しますが、「みはかし」は、貴人(ヤマトタケルノミコト)が帯刀した剣を指していると理解できます。言葉の語源がこの逸話にあるとすれば、万葉集歌では巻13の長歌に唯一、枕詞として登場するのです。関係する草薙剣は、現在熱田神宮に鎮座する御神刀ですが、古事記と書紀ではその逸話が違うのです。再度述べて見ます。
 古事記では、ヤマトタケルノミコトが東征する直前に、伊勢斎宮を訪れて斎宮ヤマトヒメノミコト(叔母)から草薙剣を戴くのです。その剣を持って活躍するのですが、帰途、尾張のミヤズヒメと合歓した際に置き忘れてしまいます。
景行紀ではこのような逸話が無く、天武紀に記述がなされています。天武天皇が崩御する直前に草薙剣に祟りがあるとして、熱田神宮に移されたというのです。時の伊勢斎宮は、勿論大伯斎宮です。2つの逸話は、神剣が熱田神宮にある由縁を語っているのですが、いずれも伊勢神宮との関連を思わせることなのです。

(2)歌謡に登場する枕詞
 「佩ける太刀」と「御佩刀」を同一視すれば、万葉集では巻13に1例のみ使用があります。「ひさかたの(天の香久山)」が登場しますが、この枕詞は万葉集中でも多用されています。もちろん巻13に使用例があります。「あらたまの(年が来ふれば)」も、万葉集では多用されていますが、その多くは「年のをながく」というつながりで、「年が来ゆ」という使用は巻13-3258のみです。残る枕詞(というより慣用句)「高光る日の御子(みこ)やすみしし我が大君」があります。ミヤズヒメの歌(記29)の冒頭句に使用されたものです。下記に冒頭部分を挙げてみます。

 高光る日の御子 やすみしし我が大君
 あらたまの 年が来経(きふ)れば
 あらたまの 月は来経(きへ)ゆく
 うべなうべな 君待ちがたに
 (以下略)

 万葉集では、「やすみしし我が大君 高光る日の御子」という慣用句で9例が見られます。巻13-3234では「やすみしし我ご大君 高光る日の御子」とあり、「我が」が「我ご」になっています。同歌は、大伯斎宮の「伊勢斎宮讃歌」と解釈してきたものです。ただこの慣用句は、人麻呂も3例使用するなど朝廷内で広く使われたのかも知れません。

(3)言挙げの因縁譚
 ミヤズヒメの許に草薙剣を置き忘れて、伊吹山に山の神を退治に出かけたヤマトタケルノミコトは、山の途中で白い猪に出逢います。その猪が山の神とは知らずに「帰りに殺してしまおう」と言挙げしたばかりに、神に祟られて(冷霧にまかれる)正気を失い、以後病んでしまいます。この言挙げを忌む因縁譚として述べられているようです。万葉集巻13―3250番の相聞歌に、言挙げをあえて行う女性の歌がありました。以下にその部分を挙げて見ます。

あきつしま 日本(やまと)の国は 
神からと 言挙(ことあ)げせぬ国 
しかれども 吾は言挙げす
(以下略)
 


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2017-11-19

万葉歌と記紀歌謡(4)

   万葉歌と記紀歌謡(4) ―神武天皇代
 神武天皇代の歌謡が載る逸話は、古事記が「東征」(記歌謡10~15番)と「天皇の妻まぎ(求婚)」(記歌謡16~20番)の2つ。日本書紀は、全て「東征」(紀歌謡7~14番)の逸話です。「東征」とは、神武天皇が大和へ入って国を作るまでの征討の物語です。神が天孫降臨した九州の日向から東進し、大和を建国するのです。物語は紀伊から大和へ攻め入った経過に大半が費やされ、歌謡はこの部分に載っています。この歌謡が、記紀ともに来目歌(くめうた)と称されています。書紀の歌謡から1番目と2番目を2つ引用して見ます。

―来目歌(紀7番)―
 兎田(うだ)の高城(たかき)に 鴫罠(しぎわな)張る
 我が待つや 鴫は障(さや)らず
 いすくはし 鯨障(くじらさや)り
 (以下略)
 これを来目歌といふ。今、楽府(おおうたどころ)に此の歌を奏(うた)ふときには、猶手量の大きさ小ささ、及び音声の巨(ふと)さ細さあり。此れ古(いにしへ)の遺式(のこれるもの)なり。

 上記の注書きが7番歌の最後に付いているのです。この事から以下の8つの歌謡「来目歌」は、奈良時代の雅楽寮歌舞楽で実際に行われていた歌であったろうと推測されるのです。書記の次の歌謡(8番)は、古事記(14番)とほぼ類似した歌なので、全部を引用してみます。

―来目歌(8番)― 
 神風の 伊勢の海の
 大石にや い這い廻(もとほ)る
 細螺(しただみ)の 細螺(しただみ)の
 吾子(あご)よ 吾子(あご)よ
 細螺(しただみ)の い這い廻(もとほ)り
 撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ

 この歌謡を引用したのは、万葉集歌に2つの点で関係があるからです。一つは枕詞です。「神風の」は、書紀「来目歌」中唯一の枕詞であって、万葉歌にも使用されています。さらに言えば、逸話にある東征の経路と「神風の伊勢」は関係が見られないのです。枕詞は、古事記の歌謡(20番)に「葦原(あしはら)の」があります。また、「あきつしま」という枕詞が、日本書記の逸話(天皇の国見)に登場します。人代天皇の最初の歌謡等に登場した3つの枕詞は、天皇の建国に関する重要なキーワードとも言える章句に思えます。万葉集ではどのように使用されているのでしょうか。万葉集では、どの枕詞も5~6例しか使用されていません。朝廷歌人金村の歌で言えば、彼は使用していません。意外な事には、人麻呂が「神風の」「葦原の」の2つを使用しています。でも重要なことは、いずれも巻13の歌で使用されている点なのです。
 二つは、「来目歌」が大伴氏の祖先にまつわる歌だという点です。大伴家持は、この点を十分承知していたと思います。この歌謡のイメージをもって作歌したものがあります。けれども、表現上では、記紀歌謡の「来目歌」から微塵も影響を受けていません。そのように思えてしまう彼の長歌を並べて見ます。

―陸奥国より金を出せる詔書を賀く歌(18-4094)―
 (前略)
 大伴の 遠つ神祖(かむおや)の
 その名をば 大来目氏(おおくめぬし)と
 負ひ持ちて 仕へし官(つかさ)
 海行かば 水漬(つ)く屍(かばね)
 山行かば 草生(む)す屍
 大君の 邊(へ)にこそ死なめ
 顧(かえり)みは せじと言立(ことだて)て
 丈夫(ますらを)の 清きその名を
 いにしへよ 今の現(をつづ)に
 流さへる 祖(おや)の子どもぞ
 (以下略)

 家持は、大来目氏の末裔であることを歌に述べています。記紀歌謡の来目歌では、枕に使われる「みつみつし(来目)」が特徴です。そのような言葉はどこにも使用されず、冠する地名も関係した枕詞「神風の」も登場しません。万葉集の代表歌人とも言うべき家持ですら、神祖(かむおや)の歌謡表現から全く影響を受けていないと思えるのです。
2017-11-18

万葉歌と記紀歌謡(3)

   万葉歌と記紀歌謡(3)
 初代天皇神武から第34代推古天皇までの期間に掲載された歌謡数は、古事記103首、日本書紀は99首です。その歌謡の分布を天皇代で調べると、神武天皇、景行天皇、仁徳天皇、允恭天皇、雄略天皇の時代に歌謡が集中しているのです。どのぐらい偏っているか、歌謡数を以下に並べて見ます。

         古事記の歌謡  日本書紀の歌謡   
①初代 神武天皇   13      8    
②12代景行天皇    15      7    
③17代仁徳天皇    23     21    
④20代允恭天皇    12     10    
⑤22代雄略天皇    14      8    
    合計      77首    54首
           (75%)  (55%)

 古事記の歌謡で言えば、34人の天皇の治世があったにもかかわらず、たった5人の時代の歌謡で75%を占めてしまうのです。その歌謡もかなり特定の逸話の中で歌われています。「古代歌謡」の特徴は、口誦歌が日本のあらゆる場所で発生し、歌われた内容も多種に渡っていたはずです。それが記紀歌謡で見る限り、特定の逸話の中に挿入されているのです。この点に注目しながら、5人の天皇代の逸話と歌謡の特徴を見て行きます。

2017-11-18

万葉歌と記紀歌謡(2)

  万葉歌と記紀歌謡(2)
 記紀歌謡は、古事記に112首、日本書紀に128首載っています。古事記は神代から第34代推古天皇までの古事を記し、日本書紀は神代から第39代天智天皇までを記しています。両書の成立が違うように記載期間も違うのです。記紀歌謡を同じ期間で比較するために、神代を除く古事記に合わせた期間(初代神武天皇から第34代推古天皇まで)で見てみます。この期間に掲載された歌謡を取り上げて考えて見ます。
 神武から推古天皇までの期間は、書紀の天皇在位期間を加算して遡れば紀元前から7世紀前半まで千年を超える期間になります。期間計算の基である暦(こよみ)の伝来は、人名や導入の記載が具体的に認められるのが推古天皇の時代になってからです。これ以後に暦が日本に定着したと理解すれば、推古天皇以前の33代の歴史は、暦が無く年月を区別できない古代の世界を遡って行くことでもあるのです。その34代の天皇の時代の逸話と歌謡は、8世紀になって書物化されたのです。それまでは、語部によって伝承されたとされる日本の古代なのです。

2017-11-17

万葉歌と記紀歌謡(1)

  先に「万葉歌と記紀歌謡」を述べてきたところですが、日が経過して記載の記憶も薄れてしまいました。笹朝臣金村の歌から寄り道のように入った話の展開です。「万葉歌と記紀歌謡」は、ずっと以前に折口信夫の「万葉集と記紀の隔たりー頭と尾について」で述べて、後日論じたいと保留した問題です。この問題を深く考えて見たいと思います。それで、もう一度、最初から論じたいと思います。よろしくお願いします。

  万葉歌と記紀歌謡(1)
 記紀歌謡とは、「「古事記」と「日本書紀」に収められた歌謡。重複するものを除くと、約190首ある。上代人の日常に根ざした素朴な感情が明るく歌われている。歌体が定まっていないのは、和歌の発生以前の姿をとどめているもので、総じて民謡風である。」(学研全訳古語辞典)
 学研辞典を引用しましたが、どの辞典も似たり寄ったりの記述です。マイぺディアなどには、補足的に「(歌謡は)多くの物語、説話と結びついているが、もとは何らかの由緒を伴いつつ独立して伝承されていた歌が、編纂者によって物語に取り込まれたものであろう。」と言った記述があります。 このような説明から私たちの知識にインプットされることは2点あります。一つは、記紀歌謡が逸話の中にあること。二つは、記紀歌謡が万葉歌よりも古いウタであろうということです。補足的に逸話と歌との関連性は疑問視されるのですが、記紀歌謡と逸話は一緒にインプットされているのです。

 折口信夫の説を思い出せば、「今日、古事記、日本書紀の上に残った歌(記紀歌謡)は、およそ全て宮廷詩(大歌)であったと言える。それは、うた(歌)という称えで呼ばれるものとふり(振曲)の名で分類せられているものとが大体それである。(略)宮廷固有のものもあったのだが、(それと一緒に地方や民間から収集された民謡など)外から奉奏せられたものが、久しい年月の間に宮廷根生いの歌の姿をとるようになったのである。」と説明されるものです。つまり、記紀歌謡は宮廷内で伝承され編成された宮廷詩であるといっているのです。そのような歌謡を作り編成した主体は、天皇や皇族ではありません。折口信夫が造語したかに思える「宮廷歌人」なのです。

 宮廷歌人と見なされる笹朝臣金村と記紀歌謡を、上記の関係に当てはめて考えて見たいのです。万葉集で金村が活躍した時期を時代判明歌で見れば、715年から735年頃と思われます。古事記成立は712年。日本書紀成立は720年。金村はこれら両書に載る記紀歌謡を学び、熟知できた時代に活躍した朝廷歌人です。行幸の従駕や宴会の歌を多く残した金村です。記紀歌謡は、このような場面の歌を多数、色濃く伝えています。ですから、彼はきっと記紀歌謡を学習し、その伝統的な歌謡を模倣し、新たな歌風形成を目指したに相違ありません。歌謡が記紀に掲載された、その新時代の渦中で生きた朝廷歌人なのですから。それは金村一人の事ではなく、朝廷歌人と言われる人々全てに当てはまるべきことです。柿本人麻呂まで遡って関係することなのです。朝廷に蓄積された伝統的な歌謡が記紀歌謡だとすれば、それを朝廷歌人が無視するなど考えられないからです。
 ところが、金村の歌に記紀歌謡の模倣はほとんど見られないのです。柿本人麻呂はどうか。全くありません。高橋虫麻呂は、山部赤人は…どうか。おそらくないと思います。朝廷歌人と呼ばれる人々は、万葉集の歌において、記紀歌謡の影響を全く受けていないのです。朝廷歌人たちが、大歌(記紀歌謡等)の影響を受けていない。大変驚くべきことなので、私の理解が誤っているのかも知れません。「日本文学は全てウタから興った」と言う歌謡論者は、私の愚論を徹底して否定して欲しいものです。愚論はこれから展開していくのですが。

 そもそも記紀歌謡は、雅楽寮の歌舞楽に関係した歌謡だと、日本書紀の久米歌の注記から想像されることです。折口信夫の説明も「それは、うた(歌)という称えで呼ばれるものとふり(振曲)の名で分類せられているものとが大体それである。」と指摘しているのです。ならば、雅楽寮の大歌師と言われた職業歌人の手になる歌が記紀歌謡のはずです。万葉集に現われる朝廷歌人とは、別であるかも知れないのです。そしてまた、雅楽寮の歌舞楽は、天武天皇の時代に整備されて持統天皇の治世下に発展したものだと、私の推論を述べて来たばかりです。さらにその歌舞楽には「大伯斎宮と大津皇子の愛物語」が散りばめられていたと強調してきたことです。このようなことを踏まえて「万葉歌と記紀歌謡」論を述べて行きます。

プロフィール

読み人知らず

Author:読み人知らず
 東北の田舎に暮らす退職者です。こんな年齢で万葉集を読み始め、読むほどに好きになりました。たくさんの人が万葉集について語っています。
 私も、巻13にある「読み人知らずの歌」を語りたくなりました。誰にも読まれずしんしんと埋もれていくとしても… 

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